最後まで愛情をもって

 経理・事務を担当しています黒田です。

 8月 広島での土砂災害時、「災害救助犬」をよくニュースで見ました。その後、災害救助犬「夢之丞(ゆめのすけ)」君の記事を新聞で読みました。

 夢之丞君は、4年前 広島県動物愛護センターにいて、殺処分される順番の日に処分数が多く翌日に回され、ちょうどその日 救助犬候補を探しにその愛護センターに訪れていたNPO「ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)」のスタッフが生後3~4ヶ月だった夢之丞君を見つけ、引き取られたそうです。でもそのスタッフが夢之丞君を腕に抱いたとき、彼は自分の番が来たと直感したのか、小さな体が約30分間小刻みに震え続け、その後も人間を避けるように過ごす彼に、スタッフが食事や睡眠を共にするなど心のケアをしながら訓練を始めると、徐々に打ち解けることができ、その後訓練を積み重ね、広島での土砂災害時が彼の初出動だったそうです。

 イギリスに犬にまつわる有名なことわざがあります。
  子供が生まれたら犬を飼いなさい。
  子供が赤ん坊の時、子供の良き守り手となるでしょう。
  子供が幼年期の時、子供の良き遊び相手となるでしょう。
  子供が少年期の時、子供の良き理解者となるでしょう。
  そして子供が青年になった時、自らの死をもって子供に命の尊さを教えるでしょう。

 子供が生まれたときに犬を飼うということは、日本では難しいことだと思います。赤ちゃんのことで精一杯で、犬のしつけまで・・・そんな余裕はないと思います。ただ愛情をもって育てられた犬は、このことわざの通りに子供の良き守り手・遊び相手・理解者となると思います。そして、幼少期の思い出にかならず犬と過ごした楽しかった日々が鮮明に残っていると思います。ただ、犬の死には必ず直面しないといけないのも現実です。

 私も幼い時から「犬が居ることが当たり前」という生活を送ってきています。なので、何度か犬の死に直面しました。死に直面した時、私は小学生だった時でも、社会人だった時でも、やはり死が受け入れられず泣き続けた日々を送っていたことを今も思い出します。その分、生後数ヶ月で来た時から散歩へ行ったときなどの楽しかった思い出も、それぞれの犬ごとにたくさんあります。

 死を直面した時、「可哀想だからもう飼わない」もしくは「たくさんの思い出をくれる尊い命との経験を大切にしよう」といういずれかの選択ができると思います。どの選択も私は正しいと思います。ただ、私は後者の選択により過ごしてきたので、このことにより今の自分があると思っています。

 夢之丞君は人によって捨てられてしまいましたが、また人による愛情で人の命を救うことをしました。ただ、犬だけでなく、どの動物に対しても、最後まで愛情を持って一緒に居ることが、人間を成長させてくれるのではないかなぁと思いました。

自分の設定を少し変えてみると

 経理・事務を担当しています黒田です。

 今年の夏休み、軽井沢へ行ってきました。関西からは少し遠く感じたのですが、蒸し暑い京都から脱出しようと思い切って行ってみました。

 軽井沢に行ったことのある友達に事前に情報を収集したところ、「軽井沢にある万平ホテルは宿泊しなくても、ホテルのカフェには行ってみる価値があるよ!」ということだったので、その言葉通り宿泊せずにホテルのカフェに行ってみました。「万平ホテル」はジョン・レノンが避暑のために滞在していたということでも有名で、ホテルの入口からクラシカルな雰囲気があり、それは軽井沢の周りの自然と歴史が調和しているように感じました。ホテルの中に入ってもクラシカルな雰囲気が続き、その場所に居ると時間が少し止まっているようにも感じ、その場所にいると、写真を撮ることも撮られることも苦手としている私でも、ふと写真を撮りたいと思う気持ちになったのです。

 以前、このような文書を目にしたことがあります。
  旅に出る時、どのカメラどのレンズを持ち出すかというところから旅の楽しみは始まっている
  どんな状況でどんな景色に出会えるのか想像しながら選択する
  美しい風景に出会ったとき、ピントを決めてシャッターを押す
  露出が難しかったり、違う表現もしたいときには、設定を変えて撮る
  この間、被写体との間で会話をしているような時間が流れる
  撮り終えたあと、被写体であったものに、人に、風景に、植物に、動物に、、、出会いに、感謝する

 この文書を読んだとき、どうして今までこのようなカメラの素敵なところに気付かなかったのだろうと思いました。カメラのレンズを通して、同じ風景を違う角度から見ることができて、色々な出会いがあるのですね。日常、仕事でもプライベートでもついつい自己流を通してしまいがちですが、意外とカメラのレンズの設定を変えるように自己流の自分の設定を少し変えることによって、新しい見方ができて、そこから新たな発見や出会いがあるような気がしました。